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Soyのブログ

ACTH単独欠損/続発性副腎不全

漢方医の名医

昨日テレビで漢方医が取り上げられていたらしい。うちにはテレビがないので、残念ながら見ていないけど、漢方は処方が合えばとても効果があるので、不調に悩む人たちには良い漢方医に掛かって欲しい。わたしの場合、続発性副腎不全だという診断が下るまでの間、なんとか自分で調べ事や勉強を細々とできるようになったのは、漢方や鍼灸や食事療法など効果があると感じたものを続けていたからだと思う。その中でも、漢方は特に効果があった。まともに調べものができ、色々な病院に掛かれる程度に回復できたことがわたしの命を救ったと思っているので、お世話になった漢方医にはとても感謝している。

 

わたしが今まで掛かった漢方医の名医は二人いる。元々掛かっていたところから引越しに伴い別の医院に移ったのだけど、どちらも良かった。なぜ良さそうだと思ったかは覚えていないけど、どちらも漢方を体系的に学んだ医師だった。今調べてみると、両者とも日本東洋医学会認定の漢方専門医だった。認定医だからといって必ずしも名医とは限らないけど、何のバックグラウンドのない人よりはずっと期待できると思う。

漢方専門医認定機関、日本東洋医学会 

 

どちらの医院でも、わたしは煎じ薬を飲んでいた。煎じ薬とは、一般的に売られているツムラなどのエキス剤と異なり、乾燥した生薬を自宅で鍋で煮詰めるものだ。とても面倒くさいし、結構きつい匂いがしたりすることもあるが、エキス剤より効果があるとのことだった。実際煎じ薬もエキス剤も両方飲んだことがあるが、煎じ薬の方が効果は高いと感じた。味も濃く、半分料理のような感じだ。魔女になったような気分になりながら、毎日薬を煎じていた。最近は体調も大分良くなったので、煎じ薬ではなくエキス剤を飲んでいる。本当に良く効くし、肌も綺麗になるので、漢方はとてもお勧めする。

 

人によって合う漢方は違うので、わたしへの処方がそのまま当てはまる人は少ないかもしれないけれど、参考になるかもしれないので書いておく。わたしは補中益気湯と茵蔯五苓散の合剤を飲んでいた。冬は附子、不眠のときは大棗を足してもらっていた。はじめの方は補中益気湯ではなく十全大補湯メインだったのだけれど、お腹が緩くなる副作用が出たので、補中益気湯に変更してもらった。お医者さんは様子を見ながら、少しずつ処方を変えたりしてくれていて、本当にありがたかった。薬の配合を微調整できるというのは、漢方の良いところだ。体調が良いとそれだけで生きる意味がある感じがする。ありがたい。

妖怪が好き

今日は、まったく関係ない訳ではないけど、病気以外のことについて。

 

水木しげるさんが亡くなった。鬼太郎やその他の妖怪の絵本のおかげで、わたしは子供の頃から妖怪が好きだった。中学生のときにはわざわざ妖怪展に出向き、「人魚のミイラ」なるものを見に行ったくらいだった。人魚のミイラなるものは、確かに見た目には本物のようで、いろんな動物の死体を組み合わせて作っているようだった。もしかしたら人間の遺体も使っているかもしれない。人魚のミイラより、作った人の方が妖怪っぽい、と不気味に思いながら作者を想像した。今は妖怪ウォッチが子供の間で流行っているが、わたしが子供だったら絶対好きだっただろうな、と思う。ジバニャンは可愛いのに設定が気持ち悪いところが妖怪の本領発揮という感じでたまらない。

 

妖怪は良い。妖怪はありのままで許されている。妖怪の多くはときには周囲に迷惑を掛けるし、かならずしも善良ではない。それでも、妖怪は持って生まれた性質の改善を期待されない。理想の妖怪像、みたいなものも存在しない。ただありのままであることが当たり前になっている。だから多様性がある。

 

一方人間の世界では、ありのままが許されている訳ではない。正論を持って、躾けられないものを躾けよう、変えられないものを変えようとして無理をしている。生まれ持った性質や不調を厳しさを持って改善することは難しく、徒労に終わることの方が多い。人を変えようとするのも、人に変えようとされるのも、どちらもとても消耗することだ。だから実際は多くの人間が正論に疲弊しているはずだと思う。人間は妖怪ではないけれど、それぞれ異なる遺伝子や生育環境で育った本来不均質なものである。ムチを打たねば働かない怠け者もいるだろうが、明らかに建設的でない躾や制裁も有り溢れている。人間が個々で異なる生物的な制限を持っていることを思い出せば、人を変えようとする以外の解決策が見えたりすることもあるんじゃないかと、妖怪の世界を想い考えた。

副腎不全に関する正確な情報・副腎疲労という概念について

副腎疲労という概念について

この記事の続き。

  • イギリスの内分泌学会による患者向けの副腎不全の説明

【PDF】http://www.endocrinology.org/policy/docs/11-03_adrenal%20insufficiency.pdf

副腎疲労(Adrenal fatigue)という概念がわざわざ否定されている。以下一部を抜き出す。

 

Only patients who have been conclusively diagnosed with adrenal insufficiency, as described above, should receive adrenal hormone replacement therapy as advised by an endocrinologist. A normal adrenal gland does not need supplements to function properly and there is no recognised medical condition called “adrenal fatigue”, the adrenal glands cannot be “fatigued”. Either the adrenal is fine and needs no treatment or there is adrenal insufficiency due to adrenal or pituitary failure, as measured by an endocrinologist. Taking adrenal hormones or so-called “adrenal supplements” that may contain active adrenal hormone extract when they are not needed means that the adrenal glands of that individual may become incapable of producing sufficient hormones when they are needed, as described above for the deep sleep of the adrenals caused by synthetic steroids. 

 

訳:

上記の方法で副腎機能低下と確定診断された患者のみが、内分泌科医の指導の下、副腎皮質ホルモン補充療法を受けるべきである。正常な副腎は機能するためにサプリメントを必要せず、”副腎疲労"と呼ばれる疾患概念は正式には認められていない。副腎は”疲労”しない。副腎は健康で治療が必要ないか、副腎そのものか下垂体が原因で副腎機能が低下しているか、のいずれかである。副腎機能の低下は内分泌科での検査によって判明する。副腎皮質ホルモンや副腎皮質ホルモンを含む可能性のある”副腎サプリメント”と呼ばれるものを不必要にも関わらず摂取すると、上で述べたように、副腎機能が停止し、その人の副腎が必要な時に十分な副腎皮質ホルモンを生産できなくなる危険があるということだ。

 

  • アメリカの内分泌学会による副腎疲労の否定の記事

Adrenal Fatigue Myth vs Fact | Hormone Health Network

 副腎疲労という概念が嘘であるということを説明している。

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副腎疲労の治療を謳っているクリニックは、「副腎疲労という概念をまだ知らない医師も多い」「アメリカでは一般的」などと説明していることが多い。しかし、アメリカでもイギリスでも、内分泌学会は明確に副腎疲労という概念を否定している。

 

少なくとも副腎不全に関しては、英語圏の方が患者向けの正確な情報というものが得やすいと感じた。様々な公的機関が、病気の原因、症状、治療方法を素人にも分かりやすくまとめた文書をインターネット上で公開しており、さらにその中で副腎疲労という概念を否定している。副腎がコルチゾールを生産するメカニズムをある程度理解すると、副腎疲労という概念に論理的整合性がないことが分かるので、こういった文献に簡単にアクセスできるという状況を作ることが悪質な医療を蔓延らせないために重要なのではないかと思った。

 

わたしが一番心配しているのは、副腎不全の患者さんが副腎疲労との名目で治療される可能性だ。副腎疲労の症状として挙げられているのは副腎不全の症状そのものなので、思い当たるならば、ぜひ内分泌科、できれば続発性副腎不全の治療経験のある医師の下で治療を受けて欲しい。

 

後日さらに続きを書く。

 

11/23追記: 抜き出した記事の一部を翻訳し、付け足した。

副腎不全を治療して改善したこと2

この記事に対する追記。

  • 浮腫がほとんど無くなった。治療前は、浮腫が酷すぎて動けないことがとてもよくあった。倦怠感と浮腫は同時に出ることがほとんどで、浮腫が改善すると倦怠感や頭がボーッとする感じもましになることが多かった。熱いお風呂に入ると浮腫は良くなるが、血圧が(すでにかなり低いのに、さらに)低下してクラクラするので、お風呂の後休憩時間が必須だった。用事があるときは、お風呂→休憩→ごはん→休憩(低血糖が改善するまで) という段階を踏んでからようやく外出できたため、健康な人と比べ使える時間はずっと少ないのに、出かける準備に4、5時間は必要だった。
  • 低血糖が改善し、頭がちゃんと働く。治療前と比べ、物事の優先順位が付けられるようになった。深く考えないでも、何が重要で、何が瑣末なものなのか、判断が付く。これはタスクの優先順位を付けるときもそうだし、何かを人に説明するときもそうである。ポイントを押さえて説明できるようになり、さらに相手が何を知っていて、何を知らないか、ということにまで気を配る余裕ができた。
  • 字が綺麗になった。字自体は元々綺麗と言われることもあったが、副腎不全になってからは字の軸が揃わなかったりして、文章全体を見ると悪筆だった。今は急いで書いても、文字の列が綺麗に直線上に並ぶ。全体を俯瞰してバランスをとるというような能力が上がったのかな、とも思っている。
  • 心を乱されにくくなった。考えても無駄なことを考えない、というような制御をしやすくなった。ただ、これは治療前より良くなっただけでなく、病気が発症する前の中学生のときや、他の同世代の人の平均と比べても、今のわたしは心が乱されにくいように思う。これは、病気で八方塞がりのときにずっと認知行動療法の本を読んだり、瞑想をしたりして、せめて心の健康だけでも保とうとしていたため、その成果なのかもしれない。〔ただ、病気から得たものがあるとはいえ、どう考えても失ったものの方が多いため、病気があったからこそ今のあなたがある、という励ましを貰うと(気持ちはありがたいものの)少し的外れだと感じる。〕

今後も思い付いたら追記する。

副腎不全を治療して、改善したこと

副腎不全の症状は全身に及ぶが、副腎不全特有の症状というのはほぼない。そのため、とても見落とされ易い。治療前に最も問題となっていた倦怠感や重いアレルギーは改善したが、それだけでなく、治療し改善したから気付いた副腎不全由来と思われる症状が色々ある。備忘録を兼ねて、改善した症状や生活上の変化をここに書き留める。わたしが受けている副腎不全に対する治療はコートリル(ステロイド)内服のみである。

 

  • 冷え性がほぼ治った。今は平均的な女性より冷えに強いと思う。冷えに効く漢方薬を今でも飲んでいるのもあると思うが。
  • 肩こりや腰痛、関節炎が改善した。治療前を100とすると、今は20~30くらい。
  • 疲れすぎてタクシーに乗る、ということが無くなった。
  • コンスタントに食欲があり、まめに買い物に行く体力、料理をする体力があるので、食べ物を腐らせなくなった。
  • 光熱費、医療費(マッサージなども含む)、交通費、食費を節約できるようになったので、生活費が月数万円浮いた。病気は本当にお金が掛かる。
  • 計画を立てて動けるようになった。いつ倒れるか分からないと、とりあえず今できることをする、というような働き方になる。計画倒ればかりで、計画の時間が無駄ですらあった。今は、計画を立てて行動できる。
  • 計画通りに動けると、却って体力を効率的に使える。貧しい人がローンを組まざるを得ないように、体力が無いからこそ体力を無駄使いせざるをえないことがある。例えば、洗濯をするのにも、洗濯機を回し終わった時に干す体力を温存しておかなければ洗濯物をカビさせてしまうので、洗濯機を回す一方で並行して家事をする、というのも難しかった。他の例だと、ご飯を炊くのに、5合まとめて炊くのは疲れるし、炊いている途中に倒れてご飯を無駄にしてしまうかもしれないからと、少量ずつ炊いていた。トータルの体力・時間は、まとめて炊いた方が絶対に使わないが、そのようなことが出来ない状況も多かった。
  • TOEICのテストの最後まで体力が持つ。治療前は、当日体調が悪くてそもそも受けられないことが大半だったが、受けられてもリスニングで力尽きて最後まで体力が持たなかった。
  • 低血糖の改善により、記憶力、理解力が上がった。主観的で感覚的な話だが、難しいことを考える時に脳の血流が増えているような脈を打ち体温が上昇する感じや、脳のコアにちゃんと血が巡っているような感じがある。
  • 食後によく低血糖になっていて(わたしがインスリンがよく出る体質なのもある)、いつご飯を食べるか、どうご飯を食べるか、何を食べるか、にすごく気を使っていた。また、ご飯を食べた後に休む時間などを設ける必要があった。今は時々食後ちょっと眠くなる程度なので、普通の人と同じように食事ができる。これもかなり、時間の節約になった。
  • 低血糖が改善したら、メールの返信なども早くなった。また、雑談が楽しくできるようになった。前までは、たわいのない話を振られても真剣に考えて答えていたし、そうでなくては正しい受け答えができなかった。

 

他にも改善点に気付いたら書き足していく。参考のため、他の副腎不全の人の話も聞きたいのだが、ついこの間まであったACTH欠損の人たちが集う掲示板が無くなってしまったのは残念である。

【重要なお知らせ】副腎疲労という概念について

副腎疲労という概念について

わたしの記事を読んで、ご自身の体調不良は副腎の不調に因ると考え、副腎疲労という概念に行き着く方がちらほら見られることに、大きな危機感を持っています。

 

副腎疲労という概念は、副腎不全や副腎機能低下などと異なり、医学的に確立された疾患概念ではありません。後日わたしの考えの詳細をアップしますが、もしわたしと似た症状の倦怠感を長期的に感じておられるなら、内分泌科に行くことを強くお勧めします。副腎疲労を謳っているクリニックが自由診療で高額ということもお勧めできない理由の一つではありますが、副腎不全の原因の詳細を検査できないようなクリニックに掛かると副腎不全を見落としかねない、ということが最も大きな理由です。副腎不全が単発のコルチゾール検査のみで確定されることはあまりなく、多くの場合、様々な負荷試験を経て診断されます。これらの負荷試験ができないクリニックでは、診断を下せないはずなのです。もし副腎不全が見落とされると、場合によっては生命の危険にすら繋がります。どうか、内分泌科、できれば続発性副腎不全の治療経験があるところに掛かって欲しいと強く願います。どの病院に掛かれば良いのか分からない方は、こちらの記事( 似たような症状の人へ)も参考になると思います。

 

わたしの書いた記事を読んでいただければ分かるように、わたしは標準治療でないという理由だけで、必ずしもその治療を受けることを否定したりはしません。標準治療がある場合はそれを優先することが大切ですが、標準治療が見つからない場合や、体調を整えるために標準治療と併用して漢方薬鍼灸サプリメントに頼ったりすることが、体調が改善に繋がる場合もあると思っています。しかし、そんなわたしでも、副腎疲労という概念に対しては、かなり否定的です。治療法として確立されていないというだけでなく、患者さんが副腎不全だった場合危険ですらありますし、さらに科学的に色々とおかしな点があるからです。倦怠感で働けない中で、高額の医療費を支払い、その上効果の薄く、有害な治療を受けてしまう患者さんが出てしまうのではないか、と心底心配しています。

しんどさは伝わらない

この記事に関連して。

dsj.hatenablog.com

 

しんどさは伝わりにくい。医師にも、周囲の人たちにも、理解されにくい。わたし自身のケースで、思い当たる理由はいくつかある。

 

1. まず、わたしが人と会うときは、調子が良いときに限られていた、ということだ。外出の予定があるときは、当日に必要な体力を考慮した日数だけ予定を入れず家でゆっくり過ごし、その日に向かって体力を調整していた。病院に行く際も同様で、調子が良い日か、調子よくなるように調整した日のわたししか、医師はしらない。だから、花粉症の時期は寝込んでしまうのです、とか、疲れると時には何週間も寝込んでしまうんです、と説明したところで、その深刻さが伝わらないのだ。体力が無さすぎて病院に行けないというのは、慢性疲労症候群の患者ではあるあるネタだと思うが、そう診断されてきたわたしも同様だった。

 

2. また、医師に対してはしないが、周囲の人に対して、わたしが自分自身でしんどいことを隠そうとしてしまうということだ。一応、体力がない、アレルギーが酷い、と説明してきたけど、実際よりはるかに元気であるようにいつも振舞っていた。正直に体力のなさを話して良いことはあまりなかった。大抵の人は深刻さは伝わらないにせよ同情してくれるが、新型うつ病だと言われたり、生活習慣がだらしないせいだと叱られたり、不健康アピール扱いされたりすることもあって、期待値を考えると言わない方が楽だった。確かに、目の前の人がそこまでとんでもなく体力がないというのより言い訳や嘘の方が可能性が高そうだから、仕方がないのかもしれない。でも、説教を聞くのも、最低限の誤解を解くための反論にも、体力が消費されるし、何より惨め過ぎて辛かった。さらに、理解を示してくれる人がいるからと言って好意に甘え過ぎることはできない。だから、体力の無さ自体を打ち明けても、深刻さまで打ち明けるメリットはあまりなかった。

 

3. 体調の悪さによって起こる問題を人格のせいと思われてしまう、というのもある。わたしが体調のせいで何か出席できないようなことがあったとしても、そういう性格の人、とずっと思われてきたと思う。体調が悪くて、という説明はしたが、はっきりした病名もない人がそんなにしょっちゅう体調を崩すはずがないと考えるのは自然だと思う。エンジンが掛からなすぎて(今にして思えば、血糖値が低すぎて) 遅刻することも多かったし、メールを読んで返信するにも頭が働かず、返信が遅いことも多かった。メールをする体力がないなんて、ある?と普通思うと思う。自分でもそう思っていた。しかし実際、頭が働かなくて、ちゃんと読めないしちゃんとした文を書くこともできない日も少なくなかった。そんな嘘みたいな言い訳をしなければならないことも多かった。信用をなくすのも当然だよなあ、と思う。しかも、ここ数年に限っては普通に調子が良い日もたまにあったので(わたしは視床下部性なので、下垂体性より波があるらしい。その割には初期はずっと体が動かなかったが。)、なおさら、やればできるのにやらない人に見えたと思う。わたし自身も病気だから仕方ないと思いつつも、どこかで自分はいい加減だとも思っていた。

 

異常に体力がないタイプの病人は、その患者の中では体力がある方の日だからこそ病院にいける。そのため、医師はそのしんどさを過小評価してしてしまいがちだ。このような患者のしんどさが医師に伝わりにくいというのは、正しい診断に至るまでの大きな妨げになっていると思う。患者の言い分を一旦信じて検査などを進めてくれたらそれで良いのだけど、大袈裟に症状を言う患者さんもいる中で、色々検査しすぎても保険制度の事情で無理だったりするのだろうか。しんどさはどうしたら伝わるだろう。活動量計とか、そういうの使って数値化すれば良いのだろうか。