Soyのブログ

ACTH単独欠損/続発性副腎不全

意見やコメントを受けて

先日書いた2つの記事に対する、大きな反響があった。細々とやろうと思っていたのでかなり不安を感じているものの、嬉しいこともあった。

 

これだけアクセス数があったら、めちゃくちゃ叩かれたり、嫌なコメントがあったりするんじゃないかと予想したけど、今のところ一切悪意を感じる反応は受けていない。それどころか、好意的な言葉を数え切れないほど沢山かけてもらって、とてもありがたかった。下の記事に関しては、批判も無かった(と思う)。

 長年医者に見落とされ続けた体調不良が難病だと判明した

 

一方、下の似非科学批判に関する記事に対しては、概ね正しく伝わっているものの、少し批判もあった。

似非科学批判と医療の問題について

少数の批判に対して、一々ブログで反論する人たちに対して、神経質だなあと思っていたりしたけど、大きく取り上げられた状況で誤解されたまま広がったらどうしよう、と不安になるものだと知った。改めて、その立場になってみないとわからないものって沢山あるなと思った。議論すること自体は好きなので、ちゃんの内容を理解した上での批判だったら、ありがたいと思う。今後も何か気になることがあったら、コメントなどで教えて欲しい。

 

以下2つは誤読による批判で、しかし誤読が広がるのは避けたいので、指摘しておく。

1. この記事を似非科学擁護だとして批判している人たちがいた。似非科学批判を自称している人たちの中の非科学性を問題にしているのに、似非科学批判を批判 = 似非科学側 と変換されてしまっている。まさにそういう、二分思考しかできない人たちのことを批判している。(9/12 追記: そもそもわたしは似非科学批判自体は批判してはいない。似非科学批判を装った、非科学的・非論理的な言動を批判している。)

 

2. 標準治療を否定している、というような理解の下での批判があったが、それも誤解である。複数の医師に見放されたことにより標準治療が見つからない時は、医療の主流ではない治療法(漢方や鍼灸や食事療法など)を試すのは患者にとってそれなりに妥当な選択であるということと、それらを似非科学だと分類した上で患者を似非科学実行者として批判するのは非科学的な上患者にとって有害だということを言っているのであって、標準治療は自分も受けてきたし、これからも受け続けるし、まったく否定していない。

 

ちなみに、わたしはアレルギーでも普通に標準的な治療 (ステロイド入りの鼻スプレーと抗ヒスタミン剤の飲み薬、目薬など) を受けていた。それでも症状が抑えきれないくらい重症だったので、減感作療法などのメジャーじゃないものにも手を出した。効果はとてもあったが、それでも花粉症の時期は 【 完全ダウンでメールも読めない → 本は難し過ぎなければ読める、外出は二週間に一回が限度  】 というような変化で、まだまだ健常人とは呼べないレベルだった。(しかし、アトピーはこれでだいぶ改善した。)

 

治療法が実践されながら発展し、標準治療として確立されていくことはよくあることだ。例えば減感作療法も、ひと昔前は日本ではマニアックな非標準医療だったし、今でも主流と呼べるかは分からないが、どんどん主流に近づきつつある。漢方だって、作用機序が解明されていなくても、効果があることは統計的に分かっているものも多いし、作用機序も日々研究され続けている。鍼灸も、効果が認められたという結果が出ている論文で、まともなジャーナルに載っているものも沢山ある。乳酸菌によるアレルギーの改善も、確立には程遠いものの、期待できる結果が沢山出ている。これらをホメオパシーやEM菌などと同じカテゴリに入れて似非科学だと批判するだけでなく、これらを試す患者まで批判することを、わたしは批判している

 

この行為の深刻さを患者側の立場から説明したい。症状の重い患者にとって、これらを試すことを否定されることは、標準治療が確立されるまでの人生を捨てろということを意味してしまうこともあるのだ。効果が強くなくても、根本治療にならなくても、だましだまし生きていかなくてはならない。それを、「似非科学っぽい」という印象のみで批判されるのではかなわない。ただし、患者が危険な治療法を試している場合はこの限りではない。(これは元の記事にも注意書きをしておくべきだったと反省している。当たり前すぎて書かなかったが、これが当たり前でない人もたまにいる。)

 

以下は誤読によるものかは分からないのだが、このような意見もあった。

3. わたしの記事を読んだ本当の精神病の人が治療を拒否したらどうするのか、という心配の声があった。わたしは、一般的な検査をして、それで異常が見つからないというだけで、"簡単に" 心因性と断定する医師のいうことなど聞かないで良いとは書いた。しかし、十分に検査して、身体的に原因が見つからないとき、精神面の原因を探ることは否定はしていない。あくまでも、精神病や心因性という概念を便利なゴミ箱のように扱う非精神科医を批判している。だから、誤読しない限り心配されているようなことは起きないと思う。しかし、誤読を減らすことはできても避けられない以上、どうすれば良いのだろう、と問題意識は持った。ただ、元の記事を公開するベネフィットとリスクを比較するとわたしはベネフィットの方が大きいと思うので、これを理由に記事を削除したりはしない。

 

以下は誤読によらない批判である。

4. わたしも懸念していることだが、元記事は似非科学に利用されるのではないか、という意見があった。その懸念があったため、わざわざ但し書きを書いたが、それでも懸念が完全になくなる訳ではない。似非科学側の人達で二分思考しかできない人がこれを読めば、そのように援用される可能性はある。悪質な場合はこのブログで否定していく。

 

以上、批判や意見に対するわたしの見解でした。

 

コメント欄でのやり取りの結果、考えたことがある。副腎不全は低血糖やうつに似た症状を引き起こすこともあって、うつ病と誤診される人は少なくないそうだ。同病の患者の報告を調べていても、うつ病と診断された後、低血糖で救急車で運ばれて判明、というケースをいくつか読んだし、コメント欄にもそういう経験を書いてくれた方がいた。低血糖は命に関わる。精神科の先生が甲状腺や副腎のホルモンを測ることが一般的な手続きになったら、大分救われる人がいるのではないかと思う。

 

また、このことと関連するが、診断されにくい難病患者がどのような経緯を辿って診断にたどり着いたか、大規模な研究がなされるべきだと思う。少なくとも副腎不全に限っては、似たルートで診断に辿りついている人も多い上、診断まで時間が掛かる人が多い。このようなルートのデータを蓄積したら、人の膨大な時間と命を救うヒントが得られるのじゃないかと思う。もしすでにそういう研究をしている人がいるなら、調査不足を謝罪する。

 

 

 

 

 

似たような症状の人へ

似たような症状の人がいるようなので、少し役に立つかもしれない情報をまとめておく。

 

1. 副腎不全の治療指針

【PDF注意】http://square.umin.ac.jp/endocrine/hottopics/20140311sinryousisin.pdf

 ここに載っているお医者さん達なら、副腎に詳しいはず。

これはなぜか最終バージョンではなく、前まであった最終バージョンは削除されてしまっているのは残念。

9ページ目の一番上に、早朝血中コルチゾール基礎値による副腎皮質機能の判定に関する報告、とする表が載ってる。副腎不全ほぼ確診・グレーゾーン・正常、と三つの段階で区切ってある。

上の指針とは少し違うけれど、わたしが検査入院をした病院では、早朝コルチゾールが 8μg/dl 以下だと副腎不全とみなすと言っていた。コルチゾールは日内変動はもちろんのこと、日によっても多少ゆらぐので、緩い方の基準(PDFの方)で低いとされる値だったら、詳しく検査する価値はあると思う。

 

2. もし副腎不全が否定されたら、この本の著者のところに掛かろうかなと思っていた。

Amazon.co.jp: 内科で診る不定愁訴―診断マトリックスでよくわかる不定愁訴のミカタ: 國松 淳和, 加藤 温: 本

実際診察を受けたことがないので、どんな先生かは分からないが、この本自体は副腎不全や多発性硬化症など、見落とされやすい病気も載っていて良いと思った。

 

3. 大学の医学部の図書館とか、医学専門書店などはまっとうな情報が得られやすいと思う。わたしは医学部の付属図書館で上の本を見つけた。また、確定診断は大きな病院でなければできないのだが、その病院を選ぶ際、医学部付属図書館で見つけた医師向けの内分泌の手引書の、副腎の項目を執筆している医師のいる病院に行った。

 

わたしは医師ではないので、責任もってこういった情報を提供できない。あくまでも参考程度にしてほしい。

 

9/11 追記:

内分泌科の医師が、親切にも以下のようなコメントを残してくれた。参考になると思うので、こちらにも転載しておく。えんどくりのろじすとさん、もし問題あればご一報ください。

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えんどくりのろじすと

内分泌の診療をしているものです。
お話を読んで、とても心が痛みました。長い間、つらい思いをされたのですね。

内分泌は内科のなかでも、専門とする医師は少ない分野です。内分泌疾患自体も珍しいと思われがちですが、甲状腺疾患を有する人はけっこういますし、内分泌を専門とする医師がもっと増えてほしいと願っています。(副腎、下垂体疾患の患者さんはやはり少ないですが)

そしてご指摘のように、副腎ホルモンの検査をすることはあまり一般的ではありません。これはなかなか難しい問題なのですよね…。
もし外来でACTH、コルチゾールを測ったとしても、専門でないとけっこう評価は難しいです。

倦怠感があるので調べてほしいとおっしゃる方に測定することがありますが、早朝安静時でコルチゾールが10を切る人はけっこういます。けれども、この人たち全てが副腎機能低下症かというと、必ずしもそうではないのですよね。
まず、早朝ならせめて8時くらいが望ましいのですが、病院に来てなんだかんだしているうちに測定するのは9時すぎてしまったりします。Soyさんはご存知かと思いますが、日内変動で早朝をピークにコルチゾールは下がってくるので、採血時間が遅くなるほど低値になりやすいです。

また、早朝であったとしてもたまたま低い場合もあります。ホルモンとは変動するものなので、そういうこともあります。不規則な生活を送っている人などもいますし。

測定して低下が疑われれば、診断をつけるために内分泌専門の病院に入院して負荷試験などを行う必要があります。ここで診断される場合もあれば、結局そうじゃなかった、あるいはグレーゾーンという場合も多々あります。もちろん、どの結果になったとしてもそうやって調べたことは意味のあることだと思います。

ただやはり初めから正解がわかっているわけではない状態で、ここまでまっしぐらに副腎機能低下を疑って精査を進めていけるかというと、なかなか難しいかもしれません。比較的まれな病気ではあるし、他の原因があるのかもしれないし、外来で一度測っただけでは診断の決めてにはならないし…というので、ACTH、コルチゾールを測るのはそこまで一般的に普及しないのではないかと愚考します。

もちろん、この現状をよしとしているわけではありません。たとえ多くの人はそうではなかったとしても、ガチの副腎機能低下の人はいるわけで、そういう方をすくいあげるためにも強い倦怠感を訴える方には、一般内科でも副腎ホルモンを測定することをもっと周知していかねばと思います。
(もちろん倦怠感だけではなく、低血糖、低血圧、低ナトリウム血症、好酸球上昇などの合併も参考にしますが、こういうことを念頭におけるのは、やはり慣れている専門の医師なのですよね。もちろん専門じゃない医師でもきちんと知っている人もいますが)

長くなってしまってすみません。まるで医者側の言い訳のようにも聞こえるとは思いますが、Soyさんのお話には深く賛同したうえで(最後のパラグラフ、簡潔にまとまったアドバイスだと思いました)、医者側の視点で補足させていただきました。多くの方がこの記事を見ていらっしゃるようですので。

ただ、専門ではありますが、学術的というよりも自分の診療上の経験からざっくり語っている面があります。あくまで一医師の一意見として読んでいただければと思います。

 

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原因不明の不調と似非科学・似非科学批判

長年医者に見落とされ続けた体調不良が難病だと判明した - Soyのブログ

↑ この記事を見てこのブログに来る人が多いので、関連する記事を以下にリンクしておく。読みやすいように、先ほど少し書き直した。

 

dsj.hatenablog.com

 

似非科学批判(の一部)に対する批判を書いたが、わたしはオカルトみたいなものはそもそも受け付けない。体調が悪くなってから、善意の人々からレイキとか、お祓いとか、占いとか、マルチ商法の健康食品を勧められたが、それが嫌で疎遠になった友人もいる。似非科学そのものにこの記事が援用されるのが嫌だったので、念のため、ここに明言しておく。

長年医者に見落とされ続けた体調不良が難病だと判明した

10数年前、高校生の頃から、体がどんどん疲れやすくなった。1kmほど歩くと息が切れてクタクタになるし、キャンプに行ったら2週間ほど寝ても疲れが取れなかった。胃炎も発症したので、病院をいくつか周ったが、血液検査の結果アレルギー以外に特に異常はなく、ストレスでしょう、と診断され、抗鬱剤を出された。しかし、疲れやすさはまったく改善せず、抗鬱剤の副作用がしんどさに輪をかけた。

 

体調はどんどん悪化して、大学受験の頃は二日連続の模試を完全に受けられたことはなく、1日目を受けたら疲れて一週間ほど寝込んでいた。辛うじて大学に入ったが、そこは自転車必須の広大なキャンパスの大学だった。入学後、講義と講義の間の自転車移動が必須であることが分かり、疲れが取れる間もなく疲れが蓄積していった。更に、元々アレルギー体質だったが、一気に悪化し、花粉症、アトピーや日光過敏症、食物アレルギー、喘息をすべて発症・悪化した。アレルゲンに曝された日は、クラクラとし、頭も体も言うことを聞かず、ついに休学した。休学の際には、うつ病という診断名で診断書を出すことになった。

 

休学中、担当の精神科医は、わたしはうつ病ではないと言った。わたしの症状が、うつ病には厳密には当てはまらない、と言う。

「では、わたしのしんどさは何なのですか」

と質問すると、

アイデンティティークライシスじゃあないか」

と言う。

「本当に体がしんどいんです」

と訴えたが、

「たまにはあんたも頑張らないかん」

と返され、わたしはなぜ皆のように頑張れないのだろう、と自分を責めた。内科などに掛かって、

「疲れやすいんです。でも身体的問題が一番辛いので、うつ病ではないと思うのです。他の病気がないか調べてください」

と言うと、

「女の人は若いころはホルモンが不安定なので、そのうち落ち着きますよ。」

と返されて、検査もしてもらえなかったり、

「精神科に掛かってるなら精神から来てるものだと思いますよ、はいもう次の人待ってるので」

と、邪険に扱われたりもした。結局、唯一体がしんどいということを信じてくれた漢方医の元で、慢性疲労症候群の疑い、ということで治療をすることになった。漢方は、効果があった。でも、寝たきり→ 週2日起きてられる というレベルに改善した程度で、とても普通の生活を送れるレベルではなかった。

 

父親はずっと、わたしが希望の大学に行けなかったから、大学自体を拒否しているのだと決めつけていた。そうじゃない、体がしんどいんだ、と症状を挙げていくと、大げさだ、そんだけ訴えられるなら元気だろう、と鼻で笑われた。わたしが寝込んでいるところも見ているはずなのに、家族はわたしの体調の悪さを、結局最後まで詐病か非常に大げさなものとして扱った。

 

休学期間は上限で2年まで、という規定があったので、無理をして復学した。休学前よりは大分体調もマシだったが、体力的に常に限界だった。二年も学年を降りているということも相まって、復学後は色々と理不尽な扱いを受けた。留年や精神病の肩書きは、スティグマなのだなあ、と感じる、屈辱的な出来事が沢山あった。体もボロボロだったが、それより周りからの扱いの方が辛かった。満身創痍でなんとか卒業した。それからずっと、色々な治療を試しながら細々と生きてきた。

 

今年になって、若い医者の卵と話す機会があった。彼女も、病名がはっきりしない関節の痛みで苦しんでおり、また同業者から(特に精神科医でない医者から)精神的な病気と決めつけられ、苦しんでいるようだった。彼女はわたしに、あなたは湿疹とかも出ているし、心拍数なども高いし、一般的な状態じゃないと思う。特に難しい症状の場合、その分野の一流のお医者さんを探さないといつまでたっても診断つかないよ、とアドバイスをくれた。

 

彼女の助言に従って、わたしは一流の医者を探すことにした。自分の症状から、病気をいくつかに絞り込み、その病気に関する論文や治療指針を書いている医者の診察を受けた。自分で絞り込んだ病気は検査で否定されたものの、細かく血液検査してくれて、結果を受けて検査入院を勧められた。

 

検査入院の結果、ACTH単独欠損症(続発性副腎不全とも呼ばれる)という病気だった。これは特定疾患にも指定されている難病で、副腎からステロイドホルモンが出なくなるものだ。アレルギーが酷いのも、肌が敏感になるのも、胃炎も、頭がフラフラするのも、ぜんぶこのせいだったようだ。副腎から出る糖質コルチコイドというステロイドには、アレルギーを抑える作用や血糖値が下がり過ぎた時に上げる作用があり、健康な人はこれが生理的に分泌されている。このホルモンが足りないと、疲れやすくなり、頭が働かなくなり、酷い場合は死に至る。

 

治療として足りないホルモンを内服して補うようになってから、わたしは生まれ変わったように元気になった。上で挙げた以外の、多岐に渡る症状(不整脈、関節炎、肩こり、浮腫など)もかなり改善した。何より良かったのが、人に自分の状態を説明しやすくなったことだ。明確な診断が付く前は、自分でも自分の生活習慣が悪いのか、と責めているところはあったし、自己管理がなっていないと説教されても言い返す言葉もなく辛かった。

 

どうしてこれまで掛かった医者は、この項目の血液検査をしてくれなかったのだろう、と思うけれど、結構誤診されやすい病気ではあるらしい。もし異常にアレルギーが重くて、疲れやすいなら、血液検査でACTHとコルチゾールの値も調べてもらったら良いと思う。コルチゾールが早朝に2桁なかったら、副腎に詳しい内分泌科に行くと良い。内分泌科でも、わたしが一つ目に掛かったところは副腎に全然詳しくなく、現在の基準では引っかかるはずの値に異常無しとか言っていたから、くれぐれも良い先生を選んで欲しい。

 

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他罰的バイアス

不幸が当事者の自己責任である、という結論を導くために、理屈を組み立てる人たちがいる。

 

わたしが病気になったとき、体調管理がなってないと責めた人は、わたしの病名がはっきりしてからは、病院にしっかり通わなかったから長い間病名が判明しなかったのだ、とまた責めた。わたしのアレルギーを、部屋の掃除が不十分だからだと責めた人は、別の時には、わたしは実際は病気でもなんでもない、ただ勉強や仕事がうまくいかないから、その体調のせいにしているだけだ、と自身の意見に矛盾する説で、しかしやはりわたしを責めた。

 

他罰的な人は、不幸な者にその責任がるという結論に向けて理屈を組み立てる。反論は多くの場合、無意味である。彼らに共通するのは、公正社会信念を持っている、ということである。公正社会信念とは、正しく生きていれば幸せになれる、という信念のことである。これを信じることは、正しく生きる動機付けとなるが、一方で、不遇な人はそれに見合う行いを重ねてきたのだ、という決め付けも生む。これは不幸な人をさらに罰するという行為に繋がり、差別やいじめの心理的な土壌となる。

 

正しく生きていたら幸せになれる、訳がない。何の根拠もない。一方、会社のCEOなどに上り詰める人は、サイコパスの割合が高く、支払いを誤魔化す人が多いなど、公正社会信念を否定する研究結果はごまんとある。

 

公正社会信念を否定してこの事実を見つめるのは、とても苦しいことだ。生きる指針を失ってしまうような気持ちになる。しかし、これを信じ続けることは、最も不幸な人たちを追い詰めて、自分の心地良さを取るということに他ならない。

 

似非科学批判と医療の問題について

難病だという診断が下りるまでの10数年、わたしの病気は多くの医師に精神的なものだとして扱われてきた。酷いアトピーや花粉症、胃腸の不調や極端な思考力の低下、道に座り込んでしまうほどの目眩や関節の痛みを訴えても、すべて気にしすぎである、精神的な症状が落ち着いたら気にならなくなる、と言われてきた。アレルギーが酷くて、様々な物質に異常に敏感に反応するのも、そんなはずはない、と妄想だとあしらわれた。

 

今となってはすべて、副腎皮質ホルモンが分泌されていなかったためと説明が付くのだが、多くの自称科学的な人は、いとも簡単にわたしを精神的な病気であるとか、詐病と決めつけた。

 

しかし、いくつかの限られた血液検査をして、その結果異常が見つからないからといって、どうして精神的な問題と決めつけられるのだろう。その態度は果たして"科学的"なのだろうか。

 

弱った体に追い討ちをかけるように、わたしの周りの"科学的な"人々は、医者が身体的な異常はないというならば、異常はないはずだ、精神的なものだと言って、わたしが休むことを許さなかった。かといって、精神科での診察で、鬱病の基準は満たさなかったため、精神病としてのケアも受けなかったし、精神面へ配慮されることもなかった。また、経験的にアレルギーが悪化する食品(動物性脂肪)を避けることも、マクロビ(わたしはそのつもりではない)じゃないか、宗教じみている、などと批判された。少しでも普通の生活をしたいと願って漢方薬を飲むことも、鍼灸に通うことも、時には、減感作療法を受けていることも、批判された。科学者の卵という立場で、似非科学を信奉すべきでない、と。

 

生物系のウェットの研究者にはわたしと近い考えを持っている人も多く、わたしのやり方に文句を言う人はいなかったが、他分野の科学者の一部は、ホメオパシーと減感作療法の区別もつかないまま、わたしに、似非科学にのめり込んでいると精神的な病気の治療がなされないままだよと"助言"した。医者も、精神科以外の医師は簡単にわたしを精神的なものと診断したし、精神科の医師はわたしが精神病ではないからとアイデンティティークライシスと説明した。

 

いくつかの検査をして器質的異常が発見されなかったとしても、それで器質的異常がないと結論付けるのは早計だ。さらに、この結論から、体の不調が精神的な問題由来である、と結論づけるのは、非科学的だ。恐ろしいことに、精神的な問題というのは、無いことを証明が非常に難しい。この不調は精神的なもの由来ではない、と必死で訴えれば訴えるほど、患者の分が悪くなる。患者の不調を精神的な問題、と結論づけるのは、医者にとってはとても安全な選択で、ネガティブフィードバックが返ってくることはほとんど無いものなのだ。

 

わたしも似非科学は批判する。EM菌での放射能除去など、論理的にありえない実験結果を売りにしてお金儲けをしている人達は批判されるべきだと思う。しかし、似非科学批判ではしばしば「科学的じゃないっぽいもの」が批判されていて、そこに科学的思考がなく、権威主義的であることも多い。だから、患者と医者であれば、医者の意見が絶対的に採用されるし、著名な科学者(しかし○○は専門外)が○○は非科学的だ、といえば、内容が精査されずに批判の的となる。

 

また、「科学的に考えると間違っている可能性が高そうなもの」と、「科学的には検証が不十分なもの」が区別されずに批判されていることも少なくない。前者には、血液型による性格の違いや、EM菌での放射能除去などがある。後者には、漢方薬や乳酸菌摂取でのアレルギー改善など、希望的な研究結果が出ているものの、 メカニズムが不明だったり、更に実験を繰り返して結果を積み重ねる必要のあるものがある。しかし、日常生活を営めないほど重いアレルギーや体調不良がある者にとって、科学的な検証が(まだ)不十分であるという理由でその治療を試さないのは合理的でないし、ましてやそのことで、似非科学だと責められなければならない理由はない。わたしは、検証が不十分なものを保険適用せよ、などとは主張していない。検証が 不十分な/進行中である ものに勝手に似非科学のレッテルを貼り、それを試す患者を批判してこないで欲しい、ということが言いたいのだ。

 

似非科学批判は、あくまでも科学的な姿勢を保って論理的になされるべきで、非科学的っぽい、という印象や、科学的権威が言っているなどの根拠による批判を行うべきでない。さらに、自分と意見が異なる人達に精神病というレッテルを張る似非科学批判者も時々見かけるが、それは非科学的な上、倫理的にも間違った態度である。"仮に" 間違った説を信じていたとしてもそれは精神病ゆえとは限らないし、精神病の診断には慎重さが必要で、さまざまな基準を満たした上で確定されるものである。精神病は、適当に、消去法的に残ったものを放り込むゴミ箱みたいなものではない。

 

わたしのように何度も医者に見放された患者が、医療の主流以外に救いを求めるのは自然であるし、それらが功を奏することも少なくない。主流以外の治療法は似非科学批判者にしばしば批判される。その一方で、精神病を自分が診断できないもののゴミ箱のように扱う医師や、会ったこともない意見の異なる人達に対して精神病のレッテルをはる似非科学批判者達の非科学的な姿勢は、あまり批判されていないように思う。

 

このような似非科学批判の偏りは、患者を追い詰める。わたしも、アレルギーや胃炎如きでそんなに辛いはずはない、怠けている、と責められ続け、死ぬ以外の選択肢が残っていないように感じていた。さらに、わたし自身はそうはならなかったものの、追い詰められた患者は、自分の不調を身体的問題と認めてくれる、極めて悪どい医師や代替医療者以外に希望を託してしまうことも少なくない。すなわち、似非科学を批判するつもりのはずが、結果的に似非科学医療に流れる人を増やしてしまう、という問題があるのだ。

 

わたしは自分で論文や国の治療指針を読み、自分で目星をつけて辛うじて専門医に辿りつくことができ、誰にも文句が付けようがない診断名(特定疾患)を得ることができた。しかし、論文を読む教育や論文を読める環境に恵まれている人の方が少ないと思う。本屋に平積みされてる医療系の本を読んで、悪徳医師や悪徳代替医療者に行きついてしまうのは、無理もないと思う。

 

かつてのわたしと同じように、原因不明ではあるが深刻な身体的不調を抱えて生活に支障を来している人達には、超一流の医師にあたれ、簡単に心因性と決め付ける医師の言葉になど耳を傾けなくて良い、と言いたい。また、周囲に詐病や精神的問題として扱ってくる人は沢山いると思うけれど、それに影響されて自尊心を損なわないで欲しい。自尊心の低下は、様々な悪人がつけ込む隙となってしまうので。そして、自分の身体的不調を認めてくれるからといって、その医師や治療者を信頼しすぎないで、とも言いたい。怪しい、高すぎる、と思ったら、引き返して欲しい。また、代替医療や主流でない医療でも、効果を感じ、治療費が無理のない範囲なら、他人に批判されても続けたら良いと思う。わたしも、漢方や減感作療法や鍼灸で体調が整ったからこそ、調べ物をする余裕が出てきたので、根本的な治療にはならないにせよ、無駄だとは思わない。わたしのような目に遭う人がいなくなるよう、心から願う。