読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Soyのブログ

ACTH単独欠損/続発性副腎不全

似非科学批判と医療の問題について

難病だという診断が下りるまでの10数年、わたしの病気は多くの医師に精神的なものだとして扱われてきた。酷いアトピーや花粉症、胃腸の不調や極端な思考力の低下、道に座り込んでしまうほどの目眩や関節の痛みを訴えても、すべて気にしすぎである、精神的な症状が落ち着いたら気にならなくなる、と言われてきた。アレルギーが酷くて、様々な物質に異常に敏感に反応するのも、そんなはずはない、と妄想だとあしらわれた。

 

今となってはすべて、副腎皮質ホルモンが分泌されていなかったためと説明が付くのだが、多くの自称科学的な人は、いとも簡単にわたしを精神的な病気であるとか、詐病と決めつけた。

 

しかし、いくつかの限られた血液検査をして、その結果異常が見つからないからといって、どうして精神的な問題と決めつけられるのだろう。その態度は果たして"科学的"なのだろうか。

 

弱った体に追い討ちをかけるように、わたしの周りの"科学的な"人々は、医者が身体的な異常はないというならば、異常はないはずだ、精神的なものだと言って、わたしが休むことを許さなかった。かといって、精神科での診察で、鬱病の基準は満たさなかったため、精神病としてのケアも受けなかったし、精神面へ配慮されることもなかった。また、経験的にアレルギーが悪化する食品(動物性脂肪)を避けることも、マクロビ(わたしはそのつもりではない)じゃないか、宗教じみている、などと批判された。少しでも普通の生活をしたいと願って漢方薬を飲むことも、鍼灸に通うことも、時には、減感作療法を受けていることも、批判された。科学者の卵という立場で、似非科学を信奉すべきでない、と。

 

生物系のウェットの研究者にはわたしと近い考えを持っている人も多く、わたしのやり方に文句を言う人はいなかったが、他分野の科学者の一部は、ホメオパシーと減感作療法の区別もつかないまま、わたしに、似非科学にのめり込んでいると精神的な病気の治療がなされないままだよと"助言"した。医者も、精神科以外の医師は簡単にわたしを精神的なものと診断したし、精神科の医師はわたしが精神病ではないからとアイデンティティークライシスと説明した。

 

いくつかの検査をして器質的異常が発見されなかったとしても、それで器質的異常がないと結論付けるのは早計だ。さらに、この結論から、体の不調が精神的な問題由来である、と結論づけるのは、非科学的だ。恐ろしいことに、精神的な問題というのは、無いことを証明が非常に難しい。この不調は精神的なもの由来ではない、と必死で訴えれば訴えるほど、患者の分が悪くなる。患者の不調を精神的な問題、と結論づけるのは、医者にとってはとても安全な選択で、ネガティブフィードバックが返ってくることはほとんど無いものなのだ。

 

わたしも似非科学は批判する。EM菌での放射能除去など、論理的にありえない実験結果を売りにしてお金儲けをしている人達は批判されるべきだと思う。しかし、似非科学批判ではしばしば「科学的じゃないっぽいもの」が批判されていて、そこに科学的思考がなく、権威主義的であることも多い。だから、患者と医者であれば、医者の意見が絶対的に採用されるし、著名な科学者(しかし○○は専門外)が○○は非科学的だ、といえば、内容が精査されずに批判の的となる。

 

また、「科学的に考えると間違っている可能性が高そうなもの」と、「科学的には検証が不十分なもの」が区別されずに批判されていることも少なくない。前者には、血液型による性格の違いや、EM菌での放射能除去などがある。後者には、漢方薬や乳酸菌摂取でのアレルギー改善など、希望的な研究結果が出ているものの、 メカニズムが不明だったり、更に実験を繰り返して結果を積み重ねる必要のあるものがある。しかし、日常生活を営めないほど重いアレルギーや体調不良がある者にとって、科学的な検証が(まだ)不十分であるという理由でその治療を試さないのは合理的でないし、ましてやそのことで、似非科学だと責められなければならない理由はない。わたしは、検証が不十分なものを保険適用せよ、などとは主張していない。検証が 不十分な/進行中である ものに勝手に似非科学のレッテルを貼り、それを試す患者を批判してこないで欲しい、ということが言いたいのだ。

 

似非科学批判は、あくまでも科学的な姿勢を保って論理的になされるべきで、非科学的っぽい、という印象や、科学的権威が言っているなどの根拠による批判を行うべきでない。さらに、自分と意見が異なる人達に精神病というレッテルを張る似非科学批判者も時々見かけるが、それは非科学的な上、倫理的にも間違った態度である。"仮に" 間違った説を信じていたとしてもそれは精神病ゆえとは限らないし、精神病の診断には慎重さが必要で、さまざまな基準を満たした上で確定されるものである。精神病は、適当に、消去法的に残ったものを放り込むゴミ箱みたいなものではない。

 

わたしのように何度も医者に見放された患者が、医療の主流以外に救いを求めるのは自然であるし、それらが功を奏することも少なくない。主流以外の治療法は似非科学批判者にしばしば批判される。その一方で、精神病を自分が診断できないもののゴミ箱のように扱う医師や、会ったこともない意見の異なる人達に対して精神病のレッテルをはる似非科学批判者達の非科学的な姿勢は、あまり批判されていないように思う。

 

このような似非科学批判の偏りは、患者を追い詰める。わたしも、アレルギーや胃炎如きでそんなに辛いはずはない、怠けている、と責められ続け、死ぬ以外の選択肢が残っていないように感じていた。さらに、わたし自身はそうはならなかったものの、追い詰められた患者は、自分の不調を身体的問題と認めてくれる、極めて悪どい医師や代替医療者以外に希望を託してしまうことも少なくない。すなわち、似非科学を批判するつもりのはずが、結果的に似非科学医療に流れる人を増やしてしまう、という問題があるのだ。

 

わたしは自分で論文や国の治療指針を読み、自分で目星をつけて辛うじて専門医に辿りつくことができ、誰にも文句が付けようがない診断名(特定疾患)を得ることができた。しかし、論文を読む教育や論文を読める環境に恵まれている人の方が少ないと思う。本屋に平積みされてる医療系の本を読んで、悪徳医師や悪徳代替医療者に行きついてしまうのは、無理もないと思う。

 

かつてのわたしと同じように、原因不明ではあるが深刻な身体的不調を抱えて生活に支障を来している人達には、超一流の医師にあたれ、簡単に心因性と決め付ける医師の言葉になど耳を傾けなくて良い、と言いたい。また、周囲に詐病や精神的問題として扱ってくる人は沢山いると思うけれど、それに影響されて自尊心を損なわないで欲しい。自尊心の低下は、様々な悪人がつけ込む隙となってしまうので。そして、自分の身体的不調を認めてくれるからといって、その医師や治療者を信頼しすぎないで、とも言いたい。怪しい、高すぎる、と思ったら、引き返して欲しい。また、代替医療や主流でない医療でも、効果を感じ、治療費が無理のない範囲なら、他人に批判されても続けたら良いと思う。わたしも、漢方や減感作療法や鍼灸で体調が整ったからこそ、調べ物をする余裕が出てきたので、根本的な治療にはならないにせよ、無駄だとは思わない。わたしのような目に遭う人がいなくなるよう、心から願う。