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Soyのブログ

ACTH単独欠損/続発性副腎不全

他罰的バイアス

不幸が当事者の自己責任である、という結論を導くために、理屈を組み立てる人たちがいる。

 

わたしが病気になったとき、体調管理がなってないと責めた人は、わたしの病名がはっきりしてからは、病院にしっかり通わなかったから長い間病名が判明しなかったのだ、とまた責めた。わたしのアレルギーを、部屋の掃除が不十分だからだと責めた人は、別の時には、わたしは実際は病気でもなんでもない、ただ勉強や仕事がうまくいかないから、その体調のせいにしているだけだ、と自身の意見に矛盾する説で、しかしやはりわたしを責めた。

 

他罰的な人は、不幸な者にその責任がるという結論に向けて理屈を組み立てる。反論は多くの場合、無意味である。彼らに共通するのは、公正社会信念を持っている、ということである。公正社会信念とは、正しく生きていれば幸せになれる、という信念のことである。これを信じることは、正しく生きる動機付けとなるが、一方で、不遇な人はそれに見合う行いを重ねてきたのだ、という決め付けも生む。これは不幸な人をさらに罰するという行為に繋がり、差別やいじめの心理的な土壌となる。

 

正しく生きていたら幸せになれる、訳がない。何の根拠もない。一方、会社のCEOなどに上り詰める人は、サイコパスの割合が高く、支払いを誤魔化す人が多いなど、公正社会信念を否定する研究結果はごまんとある。

 

公正社会信念を否定してこの事実を見つめるのは、とても苦しいことだ。生きる指針を失ってしまうような気持ちになる。しかし、これを信じ続けることは、最も不幸な人たちを追い詰めて、自分の心地良さを取るということに他ならない。