Soyのブログ

ACTH単独欠損/続発性副腎不全

妖怪が好き

今日は、まったく関係ない訳ではないけど、病気以外のことについて。

 

水木しげるさんが亡くなった。鬼太郎やその他の妖怪の絵本のおかげで、わたしは子供の頃から妖怪が好きだった。中学生のときにはわざわざ妖怪展に出向き、「人魚のミイラ」なるものを見に行ったくらいだった。人魚のミイラなるものは、確かに見た目には本物のようで、いろんな動物の死体を組み合わせて作っているようだった。もしかしたら人間の遺体も使っているかもしれない。人魚のミイラより、作った人の方が妖怪っぽい、と不気味に思いながら作者を想像した。今は妖怪ウォッチが子供の間で流行っているが、わたしが子供だったら絶対好きだっただろうな、と思う。ジバニャンは可愛いのに設定が気持ち悪いところが妖怪の本領発揮という感じでたまらない。

 

妖怪は良い。妖怪はありのままで許されている。妖怪の多くはときには周囲に迷惑を掛けるし、かならずしも善良ではない。それでも、妖怪は持って生まれた性質の改善を期待されない。理想の妖怪像、みたいなものも存在しない。ただありのままであることが当たり前になっている。だから多様性がある。

 

一方人間の世界では、ありのままが許されている訳ではない。正論を持って、躾けられないものを躾けよう、変えられないものを変えようとして無理をしている。生まれ持った性質や不調を厳しさを持って改善することは難しく、徒労に終わることの方が多い。人を変えようとするのも、人に変えようとされるのも、どちらもとても消耗することだ。だから実際は多くの人間が正論に疲弊しているはずだと思う。人間は妖怪ではないけれど、それぞれ異なる遺伝子や生育環境で育った本来不均質なものである。ムチを打たねば働かない怠け者もいるだろうが、明らかに建設的でない躾や制裁も有り溢れている。人間が個々で異なる生物的な制限を持っていることを思い出せば、人を変えようとする以外の解決策が見えたりすることもあるんじゃないかと、妖怪の世界を想い考えた。