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Soyのブログ

ACTH単独欠損/続発性副腎不全

しんどさは伝わらない

この記事に関連して。

dsj.hatenablog.com

 

しんどさは伝わりにくい。医師にも、周囲の人たちにも、理解されにくい。わたし自身のケースで、思い当たる理由はいくつかある。

 

1. まず、わたしが人と会うときは、調子が良いときに限られていた、ということだ。外出の予定があるときは、当日に必要な体力を考慮した日数だけ予定を入れず家でゆっくり過ごし、その日に向かって体力を調整していた。病院に行く際も同様で、調子が良い日か、調子よくなるように調整した日のわたししか、医師はしらない。だから、花粉症の時期は寝込んでしまうのです、とか、疲れると時には何週間も寝込んでしまうんです、と説明したところで、その深刻さが伝わらないのだ。体力が無さすぎて病院に行けないというのは、慢性疲労症候群の患者ではあるあるネタだと思うが、そう診断されてきたわたしも同様だった。

 

2. また、医師に対してはしないが、周囲の人に対して、わたしが自分自身でしんどいことを隠そうとしてしまうということだ。一応、体力がない、アレルギーが酷い、と説明してきたけど、実際よりはるかに元気であるようにいつも振舞っていた。正直に体力のなさを話して良いことはあまりなかった。大抵の人は深刻さは伝わらないにせよ同情してくれるが、新型うつ病だと言われたり、生活習慣がだらしないせいだと叱られたり、不健康アピール扱いされたりすることもあって、期待値を考えると言わない方が楽だった。確かに、目の前の人がそこまでとんでもなく体力がないというのより言い訳や嘘の方が可能性が高そうだから、仕方がないのかもしれない。でも、説教を聞くのも、最低限の誤解を解くための反論にも、体力が消費されるし、何より惨め過ぎて辛かった。さらに、理解を示してくれる人がいるからと言って好意に甘え過ぎることはできない。だから、体力の無さ自体を打ち明けても、深刻さまで打ち明けるメリットはあまりなかった。

 

3. 体調の悪さによって起こる問題を人格のせいと思われてしまう、というのもある。わたしが体調のせいで何か出席できないようなことがあったとしても、そういう性格の人、とずっと思われてきたと思う。体調が悪くて、という説明はしたが、はっきりした病名もない人がそんなにしょっちゅう体調を崩すはずがないと考えるのは自然だと思う。エンジンが掛からなすぎて(今にして思えば、血糖値が低すぎて) 遅刻することも多かったし、メールを読んで返信するにも頭が働かず、返信が遅いことも多かった。メールをする体力がないなんて、ある?と普通思うと思う。自分でもそう思っていた。しかし実際、頭が働かなくて、ちゃんと読めないしちゃんとした文を書くこともできない日も少なくなかった。そんな嘘みたいな言い訳をしなければならないことも多かった。信用をなくすのも当然だよなあ、と思う。しかも、ここ数年に限っては普通に調子が良い日もたまにあったので(わたしは視床下部性なので、下垂体性より波があるらしい。その割には初期はずっと体が動かなかったが。)、なおさら、やればできるのにやらない人に見えたと思う。わたし自身も病気だから仕方ないと思いつつも、どこかで自分はいい加減だとも思っていた。

 

異常に体力がないタイプの病人は、その患者の中では体力がある方の日だからこそ病院にいける。そのため、医師はそのしんどさを過小評価してしてしまいがちだ。このような患者のしんどさが医師に伝わりにくいというのは、正しい診断に至るまでの大きな妨げになっていると思う。患者の言い分を一旦信じて検査などを進めてくれたらそれで良いのだけど、大袈裟に症状を言う患者さんもいる中で、色々検査しすぎても保険制度の事情で無理だったりするのだろうか。しんどさはどうしたら伝わるだろう。活動量計とか、そういうの使って数値化すれば良いのだろうか。